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萩焼深川窯と田原陶兵衛家
萩焼は、文禄・慶長の役に際して日本に渡来した朝鮮李朝の陶工、李勺光、李敬が、
17世紀初頭、毛利公に従って安芸の広島から長門の萩に移り、李朝前期の陶技を以て、
城下の松本中の倉に開窯した萩藩御用焼物所がその始まりです。
その後約半世紀の後、李勺光の子、山村新兵衛光政の高弟、蔵崎五郎左衛門、赤川助左衛門の一統が、藩の許しを得て、深川三之瀬の地に移り窯を築きました。
明暦三年(1657年)には、李勺光の孫、山村平四郎光俊も移住して惣都合〆を命ぜられ、ここに藩の御用窯、三之瀬焼物所が創業致しました。これが、萩焼深川窯の始まりです。
私家は
李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、松本の御用窯を始めた松本ノ介左衛門を
始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人、赤川助左衛門を初代として、代々赤川助左衛門を称して藩の御用を勤めて参りました。
幕末、八代喜代蔵の時、縁あって嫡男謙治が田原姓を名乗り、陶兵衛を称することとなりましたが、江戸初期以来、陶業一筋に子々孫々に守り伝え、現在に至っております。
昭和57年 十三代 陶兵衛の長男として生まれる
日本工芸会 正会員